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私の議員活動

私の議員活動   諏訪市議会議員 廻本多都子

私の議員活動
  諏訪市議会議員 廻本多都子

廻本議員 トリミング
 諏訪市の市会議員として初当選は16年前の4月です。多くのみなさんのご協力、ご支援の下この右も左もよく分からない私が市議会議員に当選できたのが、私の議員活動の始まりでもあります。
 当時、介護保険制度が始まって3年目で、看護師として訪問看護も経験し介護保険制度に対応するためケアーマネージャーの資格もとり、地域の皆さんに不利益が生じないよう勉強もし、沢山の残業も経験しました。
 社会保障制度に対する国の考え方にも疑問を感じていたときです。医療や介護の考えが、応能負担から応益負担に変わっていきました。そのころからです、公助、共助、自助と言う言葉で、本来政治で行うべき社会保障を、自己責任に転嫁していまいました。
 政治の力を注ぐべきところなのに、今でもそれが続いています。議会でも地域でも悔しい思いを何度もしました。初めて議会で質問席に立ったときには、思っていることの半分も言えず、恥ずかしいやら悔しいやら痛い経験もしました。
 私たちは初当選の時から議員団会議を週1回行い、そこで議案に対する3つの基準を学びました。①市民にとって不利益があるか②市民の気分はどうか ③取引になっていないかと。しかしそこは実践です。多くの先輩に聞くことが大事でした。
失敗もありました。陳情への態度です。基本は市民の陳情には耳を傾け、おおむね採択の方向ですが、「全会一致を旨とする」が立ちはだかり、趣旨採択に同意してしまったことと、似たような文章につい同意をしてしまうこと等がありましたが、党員や仲間に叱咤激励され経験を積んできました。
 二期目の選挙では、定数大幅削減(8減)のもと行われ落選しました。しばらくは、立ち直れないのかとも思っていましたが、3回目に挑戦し当選。そして今回は4期目の市会議員です。
今回「私の議員活動」の執筆をと言われて、振り返る時間ができました。いつも頭で考えるより先に行動してしまうあわて者の私ですから、言われないとそのまま突っ走ってしまうことが多々あるからです。
 手帳に予定を書き込むのですが、つい市民の方から電話があったりすると飛んでいってしまう。約束の時間を決めてもその前に約束があったりするとその時間に間に合わなくなってしまい、「お忙しいところすみませんが・・・」が市民からの枕詞のようになってしまったりと本当に迷惑をかけています。
 さて、私の議員活動は、月曜日の朝宣伝(駅前)、議員団会議、水曜日は「新すわ」(党諏訪市委員会の民報)作り、木曜日と土日は支部会議です。他は生活相談が週1~3件くらいあります。加えて公式行事が結構あるので、それに費す時間がこのところ特に増えました。それは議員定数が削減されたため、広域での一部事務組合等の業務が増えたためです。大幅な定数削減が今でも悔やまれます。
 今までもこれからも私の議員活動は、市民の皆さんに支えられていることです。私は3期目から月1回の市政懇談会を始めています。共産党の市民アンケートでも、「議員は何をやっているのかよく分からない」、「見えない」といわれます。諏訪市では議会だよりのモニター制度をはじめました。議会傍聴をしていただくために子どもを一時預かることや、YouTubeの本会議中継など議会改革を進めてはいますが、目標の一つである市民と市議会の懇談会はまだ実現できていません。今後も実現に向け努力していきたいと思っています。 
 このような中、私個人の市政懇談会で出される皆さんからのご要望・ご意見は大変ありがたく、また「一人じゃないよ」と背中を押してもらっているように感じています。
 市民の要望をかなえるために市会議員になったのに、なかなか思うようにいかないことに情けなく思えるときもありますが、今回の地方選挙から参議院選挙へと、市民と野党の共闘の絆がまた深まりました。
 諏訪市の国保税が高いといわれ、ずっと「一般会計からの繰り入れで保険料を下げるべき」と取り上げてきたのに、県制度に移行され保険料は上げられたままです。しかし全国知事会からも要望が出されてきており、諦めず粘り強く市民と一緒に闘ってきたことが間違っていなかったと思えるよう、これからもみんなと一緒に議員活動を頑張りたいと思います。

(更新日: 2019年11月27日)

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