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私の議員活動

私の議員活動             飯田市議 後藤荘一

私の議員活動 
           飯田市議 後藤荘一

後藤 トリミング
 私は2004(平成16)年10月の飯田市議補選(定数2)を、無投票で当選し、5期目の今日に至っています。その間無投票は最初だけで、その後の4回は選挙戦を戦いました。私の力足らずにより選挙を戦うごとに、’05年1605票(21位)、’09年1481票(22位)、’13年1329票(22位)と次第に得票数が減ってきて、いつか落選するのではと思っていましたが、’17年1406票(21位)とわずか持ち直しました。これも支部やブロックの皆さん、後援会の皆さんのお力だと感謝しながら、今日まで何とか活動できているところです。
農業振興をライフワークで
 私は農業を職業として生活していました。議員としてのライフワークとして農業振興を求めてきました。飯田市の農家数は私が議会に入った頃’05年の農業センサスでは5300戸余あったのが10年後の’15年には4500戸程度に減少しています。しかし農産物の販売額は、およそ180億円から190億円の間を推移しており、農家の皆さんは健闘しているといえます。この飯田市も各地と同様に高齢化と離農によって遊休農地、耕作放棄地が拡大してきて、大きな課題になっています。国連の定めた家族農業の10年が始まりましたが、飯田市農業は高齢化と核家族化のなかで、国の家族農業に対する逆立ちした農業政策で家族農業を取り組んで行くのが困難になってきていると思います。家族農業の発展を求めて行くと同時に、遊休農地対策の両面を進めなければならない状況になっていると思います。
心に残っていることは母子を救えなかったこと
 議員となって15年になりますが、これはやったというのは記憶からなくなり、あの時ああすればよかったとか、こう言えばよかったと悔やむことが記憶に残っています。特に一番悔やんでいることは、母子家庭の親子を救えなかったことで、結果的にはその後暮らしが追い詰められ、この親子は健和会病院で相談に乗り生活保護を受給するようになりました。幼い姉妹2人を一人で育てているこの母親は当初自家用車を使用していて、子どもの保育園や病院への送り迎えなどで必要としてどうしても手放せないと仕方なく生活保護申請を諦めました。当時は生保受給には自家用車所有が厳しくて、また未熟な私は諦めざるを得ませんでした。今日は就業準備など理由があれば認められるようになりました。今飯田市の生活保護受給者の割合は市民千人中4.65人となっています。長野県平均は5.4人(’16年)全国は約17人(’15年)となっていて、長野県平均より少ない人数となっています。これは、公共交通機関が進んでいない地域に飯田市があるためと思われます。現に上村、南信濃地域を除いて公共交通の弱い、過疎といえる地域の保護率が低い傾向にあります。公共交通機関を充実させながら、本当に生保を受けなければならない人が受給するようにしなければと考えています。
リニア新幹線、やり方はJ R東海も飯田市も不透明
 ’13年リニア新幹線のルート発表がJ R東海からあり、飯田市が長野県駅の予定地となりました。途端に地元マスコミや行政、経済界は諸手を挙げて推進の意向を示しました。環境破壊や工事による残土置き場の危険性の問題など環境アセスで明らかになっていない問題などが今になって噴き出してきましたが、リニア開業に懐疑的な皆さんは少数派と捉えられ、発言がしにくい状況になっています。
飯田市は今リニア駅の周辺整備の基本設計を飯田市の事業として行い、市は駅周辺6.5㌶を買い上げ、住民を総額42億円余で立ち退かせ、そこに駐車場や進入道路など用地物件補償費含め総額91億円で作る計画になっています。関心ある皆さんは、飯田市のホームページで、“リニア新幹線駅周辺整備「デザインノート(案)」”と検索してみてください。基本設計案が見られます。特に目立つのはムダに多いと思える広場です。「広場」という名のエリアが6.5㌶の中に6カ所もあり、必要なものか疑問になります。先に6.5㌶を決めてしまったのでどう見ても6.5㌶ありきの基本設計になっています。また、シンボル的にプラスチックを使用して透明な大屋根(柱は長野県産木材使用)を配置するとしていますが、屋根の見積もりは示してなく、整備工事費41億円余は非常に不透明なものになっています。ムダな土地買い上げで立ち退きを迫られる皆さんはやりきれない思いをすると考えます。私たち共産党飯田市議団は見直しを求めていくよう現在準備を進めているところです。

(更新日: 2019年11月27日)

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