私の議員活動① 坂城町会議員 塩入弘文
73歳の時に議員になり、8年間坂城町町会議員として活動してきました。決意するまで大変でしたが「たった一度の人生だから、もう一回花を咲かせよう」と前向きに活動してきました。特に教員生活の経験を生かし、「教え子を再び戦場へ送るな」のスローガンを胸に安倍改憲NOを訴えてきました。
坂城町は人口1万5千人の小さな町ですが平成の大合併に流されず、自律のまちづくりを目指してきました。工業が盛んな町で、財政力は町村では県下で3番目です。それにもかかわらず、子育て支援や福祉の面では遅れていました。初めての一般質問では、子育て中のママ達の要望をもとに、保育料と子どもの医療費無料化について質問しました。保育料は所得段階が6段階で、低所得者には高いので、もっと細分化するように要求しました。子どもの医療費無料化はまだ小学校段階だったので、中学校まで要求しました。町長は東京から来て初当選した人で「坂城町は子育て支援・教育では30年も遅れていると思うので、できる限り努力したい」と前向きに答弁し、この二つの要求(要望)はその年に実現しました。町民要望をしっかり受けとめ、真剣に一般質問をすれば実現できるうれしさを初めて味わいました。平成29年度には、子どもの医療費無料化を高校3年生まで実現しました。保育料は第2子は半額、第3子は無料にできました。坂城町は正規採用の保育士は半分以下です。臨時やパートの保育士の多くは6ヶ月勤務して3ヶ月休むという他の市町村では見られない勤務実態です。臨時の新規採用保育士は3年で解雇されてしまう不安定雇用です。このことを一般質問して町側の姿勢を正しました。町長は「不安定雇用ではない」と居直りました。具体的な事例で追求し、「正規保育士を増やすため、前向きに検討する」という答弁を引き出しました。そして、翌年2名の正規保育士が採用され、29年には7名の正規保育士なりました。
坂城町は医療福祉面でも遅れていました。国保税も高い方です。その原因は医療費が他町村と比べて高く、県下でトップクラスです。後期高齢者医療費は一人当たり95万円を超え4年連続県下ワーストワンでした。特定検診の受診率は低く40%台でした。そこで松川町など先進地を視察しました。感じたことは保健師の数が少なく、保健指導や町民へ向けての学習講座が少ないことです。そのため町民も健康づくりに向き合うことに弱かった。そこで町民の実態をもとに、3月の予算議会と9月議会の決算議会の時に、国民健康保険特別会計では、毎回反対討論を続けています。まず、高い国保税を引き下げるため、一般会計から繰り入れること。医療費を抑えるため、予防医療に力を入れることの2点です。予防医療については、保健師を増やし、保険指導を徹底し、健康講座を各地で開催するように提案し続けました。「継続は力なり」です保健師も数年で2名増え、保健指導も80%台になりました。受診率も54%になりました。30年には特定検診の受診料一人2千6百円が無料になり、受診率アップが期待されます。
坂城町は安倍内閣の「戦争できる国づくり」にも反対してきました。陳情・請願では、安倍内閣が強行採決した特定秘密保護法・安保法制(戦争法)・共謀罪・オスプレイの飛行訓練中止など、いずれも多数で採択しています。大森議員と二人で議員たちに積極的に働きかけている。消費税10%アップ反対の意見書も採択した。坂城町議会では今までの陳情や請願はほとんど採択された。会派がなく、自由闊達に議論できるからだ。
最後に私は、この4月の町議選で若い玉川きよふみ候補と交替することができた。81歳の私から57歳の玉川候補へ世代交代することができた。玉川候補は昨年6月に入党し、12月に私の後継者として立候補してくれたのだ。本当にうれしい。上小更埴地区では特別月間で先進的役割を果たした。日本共産党にとって党員拡大は死活問題である。この点で意思統一ができた。今、本気で党員拡大をしなければ候補者の世代交代もできないし、支部の活性化もできない。市民と野党の共闘の要である日本共産党を強く大きくしない限り安倍政権を倒せない。8年前に南中地区に立候補してくれる人がいなくて、73歳の私が立候補した。2期目の77歳の時も私が立候補することになった。3期目はないと思い、必死なって党員拡大した。支部で二人の同士を迎えた。党員拡大こそ共産党を維持発展させることができる源であり、次期の候補者を擁立させることができる。この教訓を全県に広げることが大切だ。今年は連続選挙の年、統一地方選挙で勝利し、参議選で井上さとし候補の必勝に責任をもちたい。坂城町議選では大森・玉川両候補の必勝を期し、参議選で4年前の躍進を超える結果を出すため頑張ります。
民主長野 1月号
(更新日: 2019年02月20日)